私がペットロスに陥った経緯①

 

こんにちは。

 

最初に、私がペットロスに陥った経緯について書きます。

『私がペットロス・カウンセリングを始めた理由』にも一応書いてはいるのですが、かなり端折っていますので、補足します。

 

 

愛犬の名前は「空(くう)」と言いました。

白黒のシーズーの♂でした。

空は知り合いから譲っていただいたのですが、他の兄弟犬と比べて一回り身体が小さかったことから貰い手がなかなかつかなかったようで、我が家に来たのは生後3か月が過ぎた頃でした。

我が家に来ても寝てばかりで、「子犬(しかもそこそこ大きくなってる)にしては大人しいな」と思ったのを覚えています。

 

実は私は自分で“責任を持って”犬を飼うのは初めてでした。

実家でも飼ってはいましたが、世話は主に母で、私はといえば散歩に連れて行ったりご飯を作ったり可愛がったりといった、いわゆる“お気楽”なポジションだったのです。

 

初めて本当の意味での飼い主になり、私は空と暮らすことになりました。

ですが、正直、飼い主としての責務を私は全うできてはいませんでした。

命を預かることの重要さを頭ではわかっていながらも、本当の意味では理解できていなかったのだと思います。

当時私は転職したばかりで毎日忙しく、空をかまってあげられる時間の余裕はほとんどありませんでした。

空がどれほど寂しい思いをしていたか、未だに悔やまれます。

 

空は10年生きました。

空と過ごした10年の間に、私の身にも、本当にいろいろなことが起こりました。

私の周囲の環境が変わるにつれ、いろいろな人が現れそして去っていきましたが、空は、空だけはいつも私の傍にいてくれました。

私が幸せなときも不幸なときも、笑っているときも泣いているときも、ずっと傍にいてくれました。

だから、このままずっと一緒にいられるものと思い込んでいました。

 

人間よりも短命であることは分かり切っていたはずなのに、なぜずっと一緒にいられると信じていたのでしょうか。

本当に自分は愚かでした。

いえ、最も愚かだったのは、どれほど空を必要としていたのかを私自身が気が付いていなかったことです。 

犬が飼い主を必要とし、依存することは当然のことですが、同時に飼い主である私も空を必要とし、そして依存していたのです。

 

このことにもっと早く気が付いていれば、きっと空に対する態度や姿勢も別のものになっていたと思いますし、ここまで苦しむこともなかったのでしょうが、空が生きている間には私は気が付くことができませんでした。

傍にいるのが当たり前になりすぎて、一緒にいられることの有難味を忘れてしまっていたのだと思います。

 

続きは次回。

ではまた。