このブログに書いてきたように、私は空が死んで3ヶ月で、犬のいない生活に耐えかねてマロを飼い始めました。
そして、空とは似ても似つかないマロに失望し、より一層悲しみを深めることになりました。
当時は冷静な判断ができるような状態ではありませんでしたが、今考えると本当にいろいろ間違えておりました。
反省すべきことは多々あるのですが、最も大きな反省点を2つ書きたいと思います。
まず、
①新しい犬を飼った動機が不純
ぽっかりと空いた心の穴を埋めたくて、私はマロを飼いました。
寂しさを紛らわすために動物を飼うことは、決して悪いことではありません。
ですが、私の場合は、寂しさを紛らわすためではなくリベンジのために飼ったのではないか、と思うのです。
リベンジだったからこそ、空とマロの違いにあれほど戸惑い、失望したのではないか。
もし、純粋に寂しさから飼ったのであれば、あそこまで落ち込まなかったはずです。
私は、空の死は私の罪だと思っていました。だから、今度こそちゃんと育てて最期を見送って、と。そうしなければ、私の罪は晴れないと考えていました。
でも、そもそも贖罪のために動物を飼うなんておかしな話です。私のエゴ以外の何物でもありません。
もちろん当時はここまで深く考えることなど到底できませんでしたので、当然「寂しいから新しい犬を飼うんだ」と思っていましたが。
②同じ犬種は避けた方が無難
私は最初からシーズー一択でしたので、他の犬種を飼うなんて思いもしませんでした。
ですが、やはり同じ犬種は避けた方がいいと思います。
私でなくとも、やっぱり前の犬と比較してしまいます。
いっそのこと、全く違う犬種(いっそ猫とか)のほうが良かったのかもしれません。
・・・なんか本当に間違ってますね。マロに申し訳ない。
でも、飼った時期についてだけは、間違っていたとは思っていません。
確かに、死んで3ヶ月というのは一般的に見ると早すぎるのかもしれません。
ですが、私にとってあの3ヶ月は、3ヶ月ではありませんでした。
あれ以上あの状態が続いていたら、おそらくこのブログは存在していなかったと思います。
なので、このブログをご覧になっている方で新しい子を迎えようか迷っている方がいらっしゃいましたら、「まだ前の子が逝ってから月日が経ってないのに・・・」などと考える必要はありません。
ですが、「本当にその子を飼いたいと思っているのか」については真剣に考えてあげて下さい。私のような不純な動機で、安易に小さな命を預かることがないように。
ではまた。