空が死んだ日のこと

こんにちは。

今日は空が死んだ日のことを書きます。

 

母から連絡を受けた日、私は泣きながら実家に帰りました。

駅へ向かう時も、電車に乗っているときも、ずっと泣いていました。泣きっぱなしで実家に着き、空の亡骸と対面しました。

 

実家に着くまでは、「空が死ぬなんて何かの間違いなんじゃないか」とも思っていたのですが、物言わず静かに横になっている空を見、これは現実なんだと思い知りました。

気が付いたときは、私は空の亡骸に土下座をしていました。ただひたすら泣きながら土下座をしました。

土下座をしたって何にもならないことはよくわかっていましたが、そうせずにはいられませんでした。

 

抱きしめた亡骸は硬く冷たく、「温めたらまた動き出すかもしれない」となぜか考え、ずっと空の体をさすっていました。

実家では、死んだペットは庭に埋めることにしていたため、父が空用に庭に穴を掘ってくれていたのですが、さすがにその日に埋めることはできませんでした。

 

私は、空の身体をさすりながら泣き続け、涙が涸れるとずっと時計を見つめました。

時は心を癒してくれるんだから、1分・1時間でも今よりも時間が経てば、それだけ気持ちが楽になるに違いない。今は午後3時だから、1時間後はもう少し悲しみはマシになっているだろう。

そう思っていたので、とにかく時間が過ぎてくれるのを待っていました。

今考えると本当におかしな考えだと思います。が、その時の私は自分自身を保つので精一杯でした。

“ただただ時間が過ぎるのを待つ”という唯一の解決策にすがるしか、取るべき手段が見いだせなかったのです。

 

ところが、そういうときに限って、本当に時間が経つのが遅いんです。

「もう10分経っただろう」と思って時計を見ると、1分も経っていない。

「えー、なんでこんなに時間が過ぎるのが遅いんだろう」とぼんやりした頭で考えながら空の身体をさすり続け、「今度こそ10分くらいは経ってるだろう」と思いながら時計を見る。

それを何時間も繰り返していました。

 

その夜は空の亡骸の隣に布団を敷き、夢に出てきてくれることを願いながら寝ました。

ほとんど眠れなかったのですが、うとうとしている際も空は夢には出てくれず、「やっぱり留守番させたことを怒ってるんだな」と朦朧としながら思いました。

 

 

年末なので、当然お正月なども過ごしたと思うのですが、その記憶はほとんどありません。

ただ、母がやたら私を買い物に同行させていたことははっきりと覚えています。

私は自ら動く気力がなかったのですが、拒否する気力もなかったので、母の言うとおり車に乗り、買い物に付き合っていました。

おそらく母は、「今独りにしておくのは危険だ」と思ったのでしょう。でも、本当にショックなときって死ぬ気力すらなくなるんですね。何もかもが尽きてしまった感じ、とでも言いましょうか。

食欲もなく眠くもなく、ただただそこに存在しているだけで精一杯な状態で、できることと言えば泣くことだけでした。

 

そんな状態で、その年のお正月は終わりました。

続きは次回。

 

ではまた。