グリーフケアとは ③

「明日も今日みたいな日が来るに違いない」という、今まで信じて疑わなかった"常識”はただの幻で、現実は本当に儚くて、いつ割れるか分からないような薄氷の上に立っているようなもの。

 

私は空の死によって一旦はそのことに気が付いたはずなんですが、その感覚があまりに恐ろしかったため、いつの間にか見て見ぬふりをしていました。だって、「安全で安心な(今までのような)日々は二度と来ない」なんて、もうどうしていいのか分からないじゃないですか。

 

考え込んでいると、「想定の世界の崩壊」に講師の方の解説が加えられました。

「特に、“問題なんて自分が頑張れば解決できる”とか、“努力さえすれば望みのものは手に入る”と考えている人ほどショックを受けやすいんです」

 

ここでも、ああ、そうかと思いました。

私は今まで、「人生は自分で切り開いていくもの」だと思っていました。事実、自らの意志と行動によって、人生を自分の思う方向に変えてきました。だから、意思と行動で大概のことはなんとかできるものだと信じていました。これもまた、私にとって「想定の世界」だったのでしょう。

ところが、(当然ですが)死はどうにもなりませんでした。私はただただ、指を咥えて見ているしかありませんでした。

 

 

「グリーフの定義」や「グリーフの問題」について聴いているうちに、私は徐々に思い出していました。空が死んだときに感じた、「悲しみ」や「怒り」、「罪悪感」以外の感情のことを。

 

あのとき確かに感じたのは、「恐怖」「不安」「虚無感」そして「無力感」でした。

自分が今まで信じていた日常は幻だったという「恐怖」、いつ崩れ去るかわからない世界に生きているという「不安」や「虚無感」、そして自分はそれらに対抗する術を一切持っていないという「無力感」。

 

特に最後の「無力感」は私にとって強烈でした。

この世には自分の力ではどうにもならないことが確かに存在していて、そして、本当に自分は無力でちっぽけな存在であるという事実。それはもう、胸を搔きむしりたくなるほどの苦痛でした。

 

 

なぜこんな大きな感情を忘れていたのか、そのときは不思議に思ったんですが、きっと当時の私にとっては大きすぎて抱えきれなかったんだと思います。一種の自己防衛だったのでしょう。

 

続きは次回。

 

ではまた。