今まで忘れていた「無力感」を思い出した私は、すっかり落ち着かなくなりました。
私にはまだ、両親やマロなど失いたくないものがあります。ですが、おそらく彼らは私よりも先に逝くことになるでしょう。ということは、生き続けている限りまた同じような喪失体験をし、そして無力感や恐怖感に苛まれるということです。
またこんな身の切られるような思いをしなければならないなんて、しかもそれが確定した未来なんて、私はいったいどうすればいいんだろう。
思わず、講師の方に聞きました。
「ということは、また同じような思いを味合わないといけないということですよね、生きている限り。私はいったいどうすればいいんでしょうか」
本当に、どうすればいいのか分からなかったんです。
講師の方は少し考えて、
「実際に私がしたことをお話ししますと、私の父と母は老人ホームに入っていたのですが、面会して別れる際にハグをするようにしました」
「ハグ、ですか」
「ええ。父は恥ずかしがったので、握手にしました。このハグもしくは握手は、必ず別れる際にする、と決めました」
「・・・何か変わりましたか」
「そうですね、何が変わった、とはっきりしたことは言えませんが、父母亡き今、その取り決めを守れて良かった、と思っています。結局、“今できることをする”しかないのではないか、と思います」
今できることをする。
その言葉を聴いて、やっぱり避けることはできないんだな、と思いました。
同時に、逆に、今できることをするしかないんだな、と思いました。
どんなに手を尽くしたとしても、どっちみち悲しんだり後悔したりはするんでしょうし。
そこで考えました。
失って困るもの、例えば両親に対して、今何かできることはないだろうか。
とりあえず、面倒くさがらず実家にはもう少しマメに帰ろう。うん、そうしよう。
マロには?何かできることはないだろうか。
とりあえず、できるだけ一緒にいよう。仕事以外は、ずっと一緒にいよう。うん、そうしよう。
方向性が決まって、ほんの少し私はホッとしました。
続きは次回。
ではまた。