見送る立場で良かったと思うこと

こんにちは。

 

先日、亡くなったお姉さんが飼っていた紀州犬を引き取った方と、お話をする機会がありました。

元々その方は犬好きだったため、それこそ目に入れても痛くないほどその子を可愛がっているのですが、「こんなに可愛がっているのに、私が仕事から帰ってきてもあんまり尻尾振ってくれないのよね。お姉さんに対しては、買い物で数十分外出して帰ってきただけなのに大はしゃぎだったんだけど」とのこと。

 

それを聞いて、「ああ、その子(紀州犬)は未だにお姉さんを待っているんだなぁ」と思いました。

特に日本犬は飼い主に忠実ですからね。彼女が自分を可愛がってくれていることはたぶんわかっているんだろうけど、その子にとっての「主人」はそのお姉さんだけなんだろうなぁ。きっと、いつまでもいつまでも、命が尽きるまで待ち続けるんだろうなぁ。

 

 

以前のブログでも書きましたが、私は現在シーズーを飼っています。

もう7歳ですから、後10年も経たないうちに私を置いて空と同じところに行ってしまうでしょう。

一度ペットロスを体験した身としましては、「今度こそ空の時のようなあんな重篤な状態にならないようにしよう。そのためには今から心の準備をし、いずれ死んでしまうという事実を十分に自覚した上で、今できることをしていこう」と常に思っているのですが、そうは言いましても所詮は人間ですから、考えている途中でものすごく悲しくなってわんわん泣いてしまったり、恐ろしくなってしまって「こんなこと今考えてもしょうがないよね」と現実逃避してしまったりします。

それもこれも、犬のほうが人間よりも圧倒的に寿命が短いということが原因なわけで、「ああ、もう本当に見送るの辛すぎて今から気が重いわー」などとため息をついていたのですが、紀州犬を引き取った方のお話をお聞きして、「見送るのもそれはそれで悪くないかも」と思いました。

 

だって、私が先に逝ってしまったらこの紀州犬の子と同様、うちの犬はずーっと私のことを待ち続けてしまいますもん。

犬には当然「死の概念」なんて分かりませんから、「お母さんがいなくなってしまった。でも、いつも玄関から出て行って玄関から帰ってくるから、きっと待っていれば帰ってくるだろう」程度にしか思わないわけで。

 

犬に「もう二度と会えないのが悲しい、辛い」という高度な感情があるのかはわかりませんが(遊んでもらえなくて寂しい、怒られて悲しい等はありますけど)、もう帰って来ないのに、玄関のドアの開け閉めの音が聞こえる度に一喜一憂するような目にうちの犬を合わせるくらいなら、自分が苦しんだほうが全然マシなのかもしれない、と。そう思いました。

だからこそ、私が元気でいて、そしてちゃんと看取ってあげなければ。飼い主の義務から逃げてはいけないですよね。

よーし、頑張ろう。

 

ではまた。