グリーフケアとは ⑨

本日はグリーフケアの続きの「喪失からの回復・適応・対応」「回復」についてです

 

そもそも、グリーフに回復はありえるのでしょうか。

この悲しみが、いつかはそっくり消えてなくなってくれるのでしょうか。

答えはNOです。残念ながら、この悲しみは消えてはくれません。

 

それでは、私たちは何年経っても何十年経っても、この心が引き裂かれそうな苦しみに耐え続けなければならないのでしょうか。

永遠に心が晴れぬまま、一生を過ごさねばならないのでしょうか。

これも答えはNOです。確かに悲しみは消えませんが、今の大きさや強さのままでずっと残り続けるわけではありません。悲しみは他の「何か」に姿を変えていきます。

 

 

過去のブログでも書きましたが、愛犬が死んだ直後、私はこの底無し沼のような悲しみから抜け出せる方法を必死に探しました。悲しみから逃れられる(と思われる)のであれば、何でも試しました。

でも、結局何にもなりませんでした。むしろ、「結局何をしても逃れられないんだ」という落胆や絶望により、悲しみが一層深くなり、言いようのない孤独感に苛まれるようになりました。

 

なぜあれほど深く落胆し失望したのか。それは私が「ペットロスは克服するものだ」と信じていたからです。

克服できるはずなのに克服できないから、絶望したのです。

 

でも冷静に考えて、何年も一緒にいて心から愛していた存在をそんな簡単に忘れられるはずもないんですよね。

愛した分、失った時の悲しみは深くて当然なんです。

当時はとにかく苦しくて苦しくて、逃れる術を必死に流していたわけですが、逃れられるはずなんかないんです。だって本当に大切な存在だったんですもの。

 

 

グリーフ理論でも『回復』については当然触れられているのですが、グリーフの『回復』とは、悪い状態になったものがもとの状態に戻ることではなく、現状に適応すること(=以前の活動機能レベルを取り戻すこと)を意味します。つまり、『一般的な回復』とは意味合いがかなり違っているのです。

 

ニーメヤーの理論によりますと、「大切な存在の死の意味は、情動や認知など個人的主観だけで考えるのではなく、他者との関わり、社会・文化的文脈の中で再構成されていく」とあります。

「死の意味の再構成」とは、要するに「死で愛するものとの関係が切れるわけではなく、新しい形で継続する」ということです。「心の中で生きている」といったような言葉がしっくりくるかもしれません。

 

正直、当時は「心の中で生きていると言われたって現実は死んでるんだから、そんな陳腐な気休めなんかいらない」と思っていましたが、今なら少しは分かります。

死は確かに別れではありますが、心まで別つものではありません。死で全てが無くなってしまうわけではないのです。

 

ネットで「ペットロス」と検索すると、『乗り越える』『克服する』『立ち直る』などの言葉が並びます。

しかし、悲しみは乗り越えるものでも克服するものでもありません。私たちと共に在り続けるものなのです。

 

 

ではまた。