3.持ち運べる形見の品を作る
仏壇を作り終わった私は、次にやるべきことを探していました。
形見はしっぽの毛だけです。全部仏壇に供えてしまうとまた空にお留守番をさせることになってしまうので、一部を持ち歩くことにしました。
どうやって持ち歩こう・・・。
ネットで探していると、ロケットペンダントが目に入りました。
これにしよう。
すぐに取り寄せ、ロケットペンダントの中にしっぽの毛の一部を入れ、肌身離さず身に付けるようにしました。
ですが、これは私にとっては(仏壇作成と比べて)ペットロスを和らげる効果はなかったように思います。
実際、このロケットペンダントを持ち歩いてみたものの、思ったほどの精神の安定は得られませんでした。
私にとってこの行為は、ただ単に「それをやること」に意味があったたけで、「作ったもの」については意味はなかったのかもしれません。この頃は、感情と向き合うことを全力で避けていた時期だったため、とにかく何か行動して考える余地を無くすようにしていたのです。
4.ペットロス関連の本を探す
やるべきことがなくなってしまった私が次にしたことが、ペットロス関連の本を探すことでした。
まずはネットで探したのですが、やはり一番最初に出てくるのはかの有名な詩『虹の橋』です。
『虹の橋』は第一部から第三部まであるらしいのですが、私が当時目にしたのは第一部のみでした。
皆さんご存知かと思いますが、一応書いておきます。
【虹の橋(第一部)】
天国に続く道の少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。
この地上にいる人と愛しあっていた動物たちは、死を迎えると虹の橋へと向かいます。
そこには草地や丘があり、緑がいっぱいで、いつも暖かく気持ちの良い陽気がみなぎっています。
いつも食べ物と水があり、彼らはみんなで走り回って遊び、そして疲れたら「天国への樹」と呼ばれる木の下で休むのです。
病気をしていた者も、歳をとった者も、元気いっぱいの姿に戻り、傷ついて動かなくなった手足さえ、元通り。
かつての地上での良き日と思い出が夢のようによみがえってきます。
虹の橋では、みんな満ち足りた気分で幸せに暮らしているのだけれど気がかりなことがひとつだけありました。
それは自分にとって愛する人が、ここにいないという寂しさでした。
そんなある日のこと。
動物たちがいつものように元気に遊んでいました。
ふいに、一匹が立ち止まり、遠くを見つめます。
瞳は、キラキラと輝き、からだは喜びに震えはじめます。
突然、その子は仲間達を後にして、緑の草原を駆け出しました。
あなたを見つけたのです。
早く、早く、急げ、急げ!
虹の橋で再会した二人は固く抱きあいます。
懐かしいキスが、あなたの顔に降り注ぎ
あなたは、あの頃と同じように、優しく頭をなでながら我が子の瞳を見つめ返すのです。
あなたを信じ切って見つめてくる、まっすぐな瞳。
別れたあの日から、ずっとずっと片時も忘れることのなかった愛しいその瞳を。
それから二人は、一緒に「虹の橋」を渡っていくのです。
天国への道へと…。
『虹の橋』については非常に有名ですので、内容については割愛します。
ネットでは、「癒された」とか「感動した」とコメントしている方が大半のようですが、私はこの詩には全く感銘を受けませんでした。
うまく言えないのですが、『きれいごと』や『戯言』のように思え、逆に怒りさえ感じました。
今改めて読んでみますと非常に元気づけられる内容だとは思うのですが、当時の、罪悪感と悲しみに焼かれて火だるまのようになっていた私にとっては、気休めにもなりませんでした。
続きは次回。
ではまた。